辻本 誠 先生

盾津高校の思い出



31才で盾津に来て、インタビュー当時66才。思えば30年間の盾高生活で
人生の半分を過ごし、退職後もよく夢をみましたよ。

新設校だったので新しい可能性を求めて、希望して来られた先生が多かった。
しかし現実は調整校の為、学区が広くあまりにも色んな生徒が多くて
生徒指導が大変だった。初代学校長の市川速男先生がある生徒をロッカーから
4階まで追いかけられたこともあった。

開校当時は基本的な生活習慣の確立の為に、学習面でも生活面でも、きめの細かい指導が続けられた。修学旅行の時に持参する私服が派手にならないように、体育館で私服検査をするようなこともあった。

よくケンカもあった。学校をやめる生徒も多く3年間で、1期生は約1クラス分の生徒がやめていった。しかし、そんな生徒とどう取り組んでいくか先生方と話し合い
ベテランの先生も新任の先生もいろんな意見を出し合いながらお互いの勉強を深め、学校づくりを進めていったんだと思う。

生徒にとって一度きりの学生生活であるから、「盾高に来て良かった」という思いで
卒業してほしいと願ってきた。そう考えて12クラスの担任はクラスを超えて担当を決め取り組んできた。

色んな問題(親子の不仲・同和問題・家庭問題で悩む生徒など)に接して声をかけ、
家まで行き親と会い真剣に向かい合って話し合った。教師は勉強を教えるだけでなく、体を動かし受け持った生徒に関わっていかねばならないと思う。









 

 
 
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